2010年11月22日月曜日

星型要塞 五稜郭、スオメンリンナ要塞

五稜郭(中央の白い屋根は復元工事中の奉行所)
五稜郭は幕末のドラマでクライマックスの舞台になる史跡ですが、この史跡はひとつの時代の終わりと同時に、戦争の歴史の移り変わりを象徴的に示す舞台にもなっています。右の写真は五稜郭タワーから見た五稜郭の全景です。現在は中央部分に箱館奉行所が再現されていますが、最大の特徴といえばこの形でしょう。

五稜郭は19世紀に海外の築城技術を参考にして作られた城郭です。特徴的な外郭は守備側からの小銃による射撃範囲に死角を作らないための工夫になっています。また土塁で大砲による砲撃の衝撃を和らげる工夫もされています。五稜郭は本来、外国勢力との対峙を目的に作られたのですが、築城途上で外国との各種条約が結ばれるなどで脅威が低減したため、実際の要塞としての機能はそれほど高くないといわれています。

実際、箱館戦争では五稜郭への艦砲射撃の前にあっけなく陥落の憂き目を見ています。これは要塞が砲による攻撃に弱く、防御側が攻撃側を上回る性能の砲を持つ必要がはっきりしたといえます。


スオメンリンナ要塞(Wikipediaより、Michal Pise撮影)
同じ、星型要塞がフィンランドにありました。スオメンリンナ要塞と呼ばれて世界遺産にも指定されている場所です。ここはロシア海軍による侵攻に備えたフィンランドの要塞です。写真からもわかるように、星型とはいえないものの、特徴的な外観を持った要塞であり、大砲が航行する艦船を狙い打てるようになっています。また砲弾の貯蔵庫などは掩体壕に守られ、敵の砲撃にも耐えられる設計になっています。


フィンランド湾をにらむ大砲
この要塞は多額の費用を掛けて建造されましたが、幸か不幸か、要塞の大砲が火を吹くことはほとんどなかったようです。ロシアが要塞を占領した際には、周囲を艦船が取り囲み、数回の砲撃を行っただけで、要塞司令官が降伏してしまいました。反対に、フランス、イギリスの連合軍がロシアから奪回した際には、防御側の大砲の射程外から砲弾が打ち込まれ、反撃の機会すらなく要塞は陥落します。

数千キロ離れた五稜郭とスオメンリンナ要塞。時代の流れに楔を打つように作られた要塞は、結局時代の流れから取り残され、その役目を終えてしまう、よく似た存在だと思います。また、双方とも今では観光地となって、国内外からの観光客を集める存在になっていて、これもよく似ています。

五稜郭へは函館中心部から市電「五稜郭公園前」に、下車後徒歩15分。
スオメンリンナ要塞へはヘルシンキ港からフェリーで20分ほど。