2011年3月28日月曜日

今しか出来ない東京観光

震災当日の東京タワー 今は消灯しています 
東北・関東大震災の影響は電力供給の逼迫や福島からの放射性物質の飛来という形で東京にも及んでいます。しかし東京は安全です。もちろん停電は不便ですが、関東一円の人々の節電の努力で一応の秩序は保たれています。また放射能問題も一部報道が不安を煽り、万が一を危惧した人たちが余計に不安になっている、そんな状況です。

さて、東京観光を予定されている方で、いま東京に行っても大丈夫なのかと思っている方も多いと思います。結論から言えば、大丈夫、いつもと違う東京が見られる。と言うことです。放射線は報道や各種機関の発表どおり、健康に問題のあるレベルではありません。問題は食品の品薄と停電です。

旅行で来られる方々は食品の品薄を心配する必要はないと思います(既に改善の兆しが見られていますが)。外食店やホテルなどは平常どおり営業を続けているので、食事に困ることはないと思います。ただ、停電は店舗の営業時間を短くさせたり、照明を落として営業するなどの影響をもたらしています。

そんな東京、いまはすごく人が少なくて、人ごみに困らされることなく観光が楽しめます。またホテルや旅館も空室が多く、価格も低くなっていると予想されます。箱根の温泉地でも旅館はすごくすいているようです。節電に協力しつつ、東京観光を楽しむ、一つの思い出になるかもしれません。またエスカレーターが止まった駅、薄暗くなった地鉄の改札口、ディスプレイの電灯が抑えられた百貨店、停電でも営業する居酒屋、こんな東京はいまでしか体験できません。ここは一つ、国内外の皆さん、日本へ、そして関東地方への観光も検討してみてください。

なお、計画停電はゴールデンウィーク近辺に一旦終わることが予想されています。が、都内の節電は続くと思いますので、節電都市東京を観光するのはゴールデンウィークがベストかもしれません。

2011年3月24日木曜日

檜原村でマウンテンバイク

東京は大都会のイメージですが西に行けば豊かな自然と険しい山岳地帯に繋がっています。東京都でも檜原村はそんな山間部にある村ですが、ここは交通の便も悪く、高尾山のように国際的な観光地にはなっていません。

途中の登山道 数年前の2月 雪が積もっていた
ただ登山するにはぴったりです。特に寒い時期、マウンテンバイクでの登山に向いているかもしれません。マウンテンバイクで登山道を走破する場合、登山者優先になるためハイシーズンでは迷惑をかけてしまうことが多いです。また、夏場はくもの巣も多く走りにくくなっていしまいます。そう考えると、多少寒くても冬から春にかけてのこの時期は東京近郊のマウンテンバイクにとっていいシーズンだと思います。

檜原村には払沢の滝という観光スポット(と言うほどのものでもないですが)があり、そこから舗装路で浅間嶺へと登っていきます。途中から登山道になり、さらに道も分かりにくくなりますが、地図と携帯電話のGPSを使えば結構簡単に頂上までたどり着けます。

浅間嶺の山頂付近の広場で撮影
そこから檜原街道へと下っていくのですが、コンディションがよければマウンテンバイクを多いに活かして楽しめる下り坂になります。街道に出れば役場方面へ戻ってもよし、少し登って数馬温泉へといってもよし、1日で楽しめる、なかなか濃密なコースです。因みに、登山道に入ってからは自転車を押したり、担いだりする必要があるため、そういう経験がなければ一人では行かないほうがいいかもしれません。

2011年3月14日月曜日

仙台の浜辺は平和だった、また必ずその姿は戻ってくる

あまりにも悲惨な災害に言葉をなくし、支援をしていかなければいけない自分達も停電の対策に追われるなど、まだまだ混乱が続いています。

大津波に襲われた名取市の浜辺 2009年撮影
仙台には友人が住んでいるため、よく遊びに行きました。友人の無事は土曜日中に確認できて、ほっとしてはいますが、他の被害の広がりは直視できないほどです。仙台市近郊の海岸沿いは綺麗な松並木と長く続く砂浜、本当に平和な風景が続いていました。また松島や塩竃から石巻や気仙沼と海沿いの町は海の幸を楽しめる場所でした。その場所に巨大津波が襲い掛かり、火災に見舞われ、街は瓦礫の山になってしまいました。

今でも街の風景だけでなく、牡蠣を振舞ってくれたおばちゃんや、地元の物産センターでおまけしてくれたおじさんを思い出します。もちろん名前も知らない人たちだけど、無事に困難を乗り越えていて欲しいと願わずにいられません。

今は誰もが希望を持てずにいるかもしれません。でも、直接被災しなかった人が希望を失ってはいけないと思います。必ず平和で穏やかな日々が戻ってくる、そう信じてできることから一つずつやっていくことが大事なのだと思います。

2011年3月9日水曜日

富山湾ごしの立山連峰を見たい

3,000メートル級の山々が連なる立山連峰。日本でも有数の急峻な山々ですが、この山々が富山平野に豊かさと災いをもたらしています。富山平野は豊かな米作地帯ですが、この源になっているのが立山からの雪解け水です。立山連峰に降り積もった雪は春から夏にかけて下流に流れ出し、豊かな穀倉地帯の形成を助けました。同時に立山連峰からは大量の土砂が流出し、周辺の環境を脅かしているのも事実です。立山の砂防事業は1926年から始まり、現在でも保守などが続いています。

山側から見た立山連峰(wikipediaより、Σ64撮影)

ただ、立山連峰の絶景は世界でも稀なものといわれ、日本中からの観光客を集める存在になっています。富山湾をはさんだ氷見市からの眺望は、海の上に3,000メートル級の山々を望むすばらしい景色が見られます。このような景色を観られる場所は世界中で氷見市周辺だけといわれています。空気の澄んだ晴れた日、条件が整えば見られるようです。12月から2月がベストシーズンと言われていますが、この期間は雪の降ることも多く、なかなか見られる景色ではないようです。また期間外でも見られることもあり、ぜひ見てみたい景色になっています。綺麗な写真は氷見市のWebサイトで。ライブカメラもあるので天気のいい日、見られる日を確かめて出かけることも可能です。

立山砂防軌道(wikipediaより、投稿者による撮影)
また、先ほど書いた立山での砂防事業で利用された鉄道も観光客を集めるのに一役買っています。正式名称は国土交通省立山砂防工事専用軌道といい、立山砂防軌道とも呼ばれています。なお2006年には登録記念物に指定されています。

一般客も夏季に限り、事前申し込みをすれば乗車でき、18段のスイッチバックという世界的にも例を見ない路線を体験したいファンの応募が多くあるようです。(前年度は5月13日より受付開始、抽選倍率は2~3倍程度だったようです。立山カルデラ砂防博物館サイト



立山連峰は富山市からも望めます。富山市には航空路線、富山空港が便利です。氷見市へは鉄道や自動車でのアクセスが比較的容易になっています。

2011年3月7日月曜日

ゴールデンウィーク、京都で桜をたのしむ

茅葺の里の風景
京都の桜の見ごろは3月下旬、寒い春になっても4月上旬に桜は満開を迎えます。満開から1週間もすれば桜は散り始め、4月中旬には桜の見ごろは終わってしまいます。京都の桜は風情もあって綺麗なのですが、ゴールデンウィークには葉桜となっています。新緑の季節になる5月で、それはそれで綺麗な景色が見られますが、せっかくなので桜も新緑もたのしみたい、そんな欲張りな願望もかなえられなくはありません。

桜は基本的に涼しい場所では開花が遅れがちです。その性質を利用して、京都市内よりも涼しい京都で桜をたのしめばいいのです。市内から車で1時間ほど、北隣の美山町まで行けばゴールデンウィークでも桜を楽しめます。美山町には茅葺の里として古い民家が保存され、昔の日本の農村の風景が今でも残っています。古い集落、神社、集会所、、、なんとも懐かしい景色が残っています。京都市内はゴールデンウィークには人がたくさんいますが、ここまで行けば山奥の京都の静けさを感じることも出来ます。何度も京都に来たことがある人にオススメの場所です。

佐々里峠の桜
(2010年5月4日撮影)
美山町に向かう道中には常照皇寺もあり、歴史的な見所もあります。同寺は南北朝時代に始まる歴史を持ち、境内にある九重桜は天然記念物に指定されています。この桜の時期は4月中旬でゴールデンウィークとは少しずれていますが、これも見ておきたい桜の一つです。JR東海のCMで1本の桜を決めて見たいってやってますが、この桜もその資格のある銘木です(樹齢は600年と伝えられています)。

また茅葺の里から、さらに道を進めて佐々里峠付近には路肩に桜が植えられ、きれいな桜が楽しめるようになっています。さらに人は少なく、風情のある景色が楽しめます。

美山町、茅葺の里へは京都市内から国道162号線を通っていけます。途中、府道61号線へと曲がれば、常照皇寺があり、茅葺の里へは府道38号線へと分岐していけます。カーナビを利用するなら、「かやぶきの宿 またべ」を目印にすればいいかもしれません。因みに住所は「京都府南丹市美山町北下牧」付近になります。

2011年3月4日金曜日

レーゲンスブルク、駆け足で観光してしまった

レーゲンスブルグの大聖堂
2000年前、ローマ帝国時代からの歴史を持つ都市で中央地域の中心都市のひとつになっているのがレーゲンスブルグです。ミュンヘンと同じバイエルン州にありますがミュンヘンのような都会ではなく人口は13万人、日本の都市でいえば小樽(北海道)や我孫子(千葉県)ほどの小さな街です。中世から河川の交差する当地は交通の要衝として栄え、古くから自由都市として反映してきました。戦災での被害もあったようですが、現在では大学の町として活気のある街になっています。

レーゲンスブルグには大聖堂とその周辺に旧市街が残っています。旧市街は世界遺産「レーゲンスブルクの旧市街とシュタットアムホーフ」に指定され、多くの観光客が訪れます。またドナウ川にかかる橋の美しさも人々を魅了しています。一時期、観光ガイド「地球の歩き方」のドイツ版の表紙にはこの橋が描かれていたこともあるので、行ったことはなくても知っている人もいるかもしれません。

旧市街の路地 観光客が多かったです
ここに行った日はとてもあわただしく、電車の時間を気にしながらの観光になってしまいました。旧市街を歩いて、橋を見て、大聖堂を見てって感じで、パッパッパとまわってあまり楽しめなかった記憶があります。ただそれでもこの街のすばらしさの片鱗は見られた気がします。もう一度訪れたい町のひとつです。

レーゲンスブルグにはミュンヘンから鉄道が便利。駅から旧市街までは歩いていける範囲にあって、ミュンヘンからの日帰り観光も可能です。旧市街自体もそれほど広範囲ではないので、歩いて観光が出来ます。








レーゲンスブルグのパノラマ写真 (wikipediaより、Photo by User:Grizurgbg,cropped by User:Samsara)
 

2011年3月3日木曜日

門司、九州と本州の接点

関門海峡を挟んで本州と向かい合う門司は対岸の下関とはまた違った雰囲気を持っています。下関は漁港があって市場があって史跡があって、なにかと活気のある街です。対して門司の町は再開発で整備された場所と古い近代建築が混在する、ちょっとちぐはぐな街です。

門司の出光美術館
門司駅の概観は歴史を感じさせ、また周辺には海運や陸運の要衝となったこの地にふさわしい企業の社屋(跡)が点在しています。さらに門司を創業の地とする出光興産が美術館を運営していています。この美術館は創業者、出光佐三が収集した美術品のコレクションが展示されていて、非常に内容の濃い美術館となっています。私もこの美術館に行くために門司を訪れました。
門司駅の外観



なお駅周辺の近代建築は外観の古さは隠せないものの、デザイン自体は今でも通用すると思います。それほど、モダニズム建築が普遍性を持っていたと言うことかもしれませんが、ポスト・ポストモダニズムの時代になっても色あせない、いい建築だと思います。

旧三井物産門司支社
門司へは北九州や福岡からのアクセスが便利です。北九州空港にはスターフライヤーが就航していて、羽田-北九州間で格安運賃を設定しています。値段は安いですが、シートは革張りでちょっと広め、まあまあいいです。因みに小倉駅で空港行きのバスを待っていたら、外人さんが後ろに並んできました。珍しいなぁと思ったら、東京に帰る飛行機のパイロットさんでした。こんなところまで経費節減、と感心しました。

2011年3月2日水曜日

ショパン、革命ができるまで

ショパンの肖像画
wikipediaより)
ショパンは日本でも人気のピアノ作曲家です。演奏会でショパンが演目に入っているとお客さんの入りが多くなる、そのくらい代表的な作曲家です。代表作はたくさんありますが、練習曲の10-12は「革命のエチュード」という別名を与えられ、知名度も抜群の曲です。


練習曲のため短い演奏時間ですが、印象的な旋律は誰でも聞いたことがあると思います。実際にショパンが革命と名づけたわけではないですが、この激情的な曲は名前にぴったりだと思います。では、ショパンはこの曲をいつ、どこで作曲したのでしょう。

この曲が作曲された時期のは1831年、ワルシャワを出発してウィーンを経てパリに至る途上でショパンはポーランドの革命(11月蜂起)が失敗したことを知ります。その悲しみと怒りをピアノ曲にぶつけ、その感情が「革命のエチュード」の作曲に繋がります。なお、この作曲の過程は逸話であり、史実かどうかは分かりません。

ワルシャワの11月蜂起の絵
wikipediaより)
ただ、この曲は歴史的な背景を知らない私たちにも作曲者の感情が伝わってきて、この逸話が真実ではないかと思うのに十分な迫力を持っています。ショパンはこの作品によってピアノが感情を国や時代を超えて表現できること、伝えられることを改めて証明したと言っても過言ではなく、 作品のすばらしさを逸話が引き立てているともいえます。

旅行としてはワルシャワ、ウィーン、パリと陸路でその道を辿ってみるのも面白いかもしれません。

プラハに行きたい、春といえばプラハ

プラハ城とカレル橋の夜景
wikipediaより、Karneyli作)
チェコ共和国の首都、プラハ。昔はチェコスロバキアの首都だったのですが、スロバキアが分離して西半分がチェコとなっています。プラハといえば「プラハの春」が有名です。今の中東のジャスミン革命のように民衆が立ち上がって共産主義政権と対峙します。しかし最終的にはソ連などの軍事介入によって鎮圧されます。それが1968年なので、そこから20年、再びプラハに自由の風が吹くのには長い時間が必要でした。

わたしは「プラハの春」の時代背景と舞台で書かれた小説「存在の耐えられない軽さ」のファンです。映画化もされた小説ですが、若い日の失恋の勢いで読んだ思い出があります。

そんなプラハで春の風を感じたいです。チェコは旧東欧圏ではありますが、ソ連よりもドイツを含む中欧文化圏を形成しているといわれます。また14世紀にプラハは神聖ローマ帝国の帝都なりました。長い歴史を通して、周辺地域の中心としての役割を果たしてきました。因みに、ビールの一人当たりの消費量はドイツよりも多く、世界一とのことです。

プラハの観光のみどころは大聖堂やプラハ城、それに世界遺産(プラハ歴史地区)にも指定されている街並みでしょう。中世からの伝統を受け継ぎ、人々の生活を通して守られてきた建物や文化が根付いているプラハ、近いうちに訪れてみたいです。

プラハの街並み (wikipediaより、Lukáš Hron作)

チェコへはフランクフルトなどからの乗り継ぎ便で行くことが一般的、国内からの直行便は就航していません。 なおプラハの春(4月頃)の気温は東京との3月頃と同じくらいです。

2011年3月1日火曜日

東京、建築散歩

東京には有名な建築物がたくさんあります。歴史のある建物、有名な建築家によるもの、世界遺産の候補になるようなものまで、街中にゴロゴロしています。一部は取り壊され、またリニューアルされる形で残っているものもありますが、散歩のテーマとして建築は面白いです。

旧来の東京中央郵便局
右の写真は東京中央郵便局です。今ではもうこの形では残っていませんが、歴史のあるモダニズム建築です。効率化と資産の有効利用という観点から立て替えられたのですが、旧来の建築が失われてしまうのを惜しむ声は大きかったです(政治的に歴史的建物の保存が利用されたのは非常に残念でした)。ただ、建物は有効に利用されてこそのものです。残す部分は残して、有効利用するというのは間違いではないと思います。もちろん建築当時のまま保存され、有効に使われるのは意味のあることではあります。建物はシンプルで装飾は少ないですが、どことなく優雅でかつ、規律ある姿をしています。なかなかすばらしいものだと思います。



新国立美術館の外観
左の写真は新東京国立美術館です。設計は黒川紀章さんです。なくなられる前に一度講演会に参加しましたが、年をとられてからも意欲的に活動され、弁の立つ方だった記憶があります。彼の主題は自然との共生です。モダニズム建築が人間主義として、その後を担う思想として共生を掲げておられました。確かに構造は曲線的で風や波のような姿をしています。人間の独善を省みて、自然を建築に取り入れる、これからの常識だよ、と言っていたのが印象に残っています。なお、新国立美術館には旧第三連隊の司令部跡も残されていて、そちらは2・26事件の歴史を残すモニュメントになっています。

ポトマック川の桜がみたい

ポトマック川の桜
wikipediaより)
日本では花粉の飛散が始まり、いよいよ春へと季節が移ってきました。春の風物詩は桜ですが、春にいっせいに開花するソメイヨシノは受粉によって子孫を残せない、特殊な木です。すべて接木によって植林され、全国に植えられています。この影響で樹木ごとの遺伝子の差が少なく、気温が一定条件を満たせばいっせいに開花する特徴を持つようになったと言われています。
ソメイヨシノは国内だけでなく、海外にも輸出されています。その代表例がワシントンD.C.に植林された桜でしょう。この桜は荒川に植えられた桜にルーツを持つもので、ソメイヨシノのほか計11種の桜が東京市長より贈呈され1912年に植えられました。今では桜祭りが開催されるなど、アメリカでも名所になっているようです。この桜もいつか見てみたいです。

なお、アメリカ初代大統領ワシントンが桜の木を折った逸話が残っていますが、これはどうやら後世の創作のようです。彼が子供の頃(1750年頃)にはアメリカ大陸には桜がなかったようです。私はなんとなくポトマック川の桜とワシントンが折った桜を無意識に結び付けていましたが、それぞれ時間的にはぜんぜん違う話で、さらには創作だったみたいです…。

埼玉熊谷の荒川沿いの桜並木
wikipediaより 京浜にけ撮影)
1912年以降、日米関係は悪化を続け、不幸な歴史を刻みます。その間も毎年桜を咲かせた木々が今も受け継がれ、平和な時代にまで続いていたことは幸運なことだと思います。花を見て、心を和ませる、人間は原始時代からそんな感情を持っていたと言われています。これからも花が咲き続ければなあ、なんて考えています。

因みに、ワシントンの桜祭りは3月下旬から4月上旬に開催されるので、見頃は日本とあまり変わらないようです。