2010年8月31日火曜日

沖縄の古城めぐりがしたい

今帰仁城跡
(Wikipediaより)
沖縄には何度か行ってます。そのたびにまた来たくなる、そんな魅力を持った場所です。料理や音楽、リゾートな雰囲気、沖縄の人のおおらかさ、沖縄のよさはたくさんありますが、史跡として世界遺産にも指定されている「琉球王国のグスク及び関連遺産群」も見逃せない魅力です。城は日本の城の一般的イメージである天守閣を持った城郭とは異なり、砦や屋敷といった趣でしょか。山の上に建てられていることが多いのも沖縄の特徴です。中央の山岳地域をはさんで両側に平野部の広がる沖縄本島を拠点で支配、防御するために発達した築城方法なのでしょう。

また石垣のすばらしさが沖縄の古城の特徴です。当地の珊瑚礁からできた石灰岩(琉球石灰岩)を積み上げることで壮大な石垣を実現し、その曲線は建築物としての美しさも兼ね備えています。江戸時代末期に琉球を訪れたペリーも、この緻密な石組みの美しさに感嘆したと伝えられています。

これら古城の歴史は14世紀にまでさかのぼるといわれています。この時期、琉球は小さな勢力が割拠する状態であり、琉球としてひとつのまとまりのある集権体制が構築されるのは15世紀後半といわれています。この時期は明の冊封体制に組み込まれていたため、首里城の建築物は明の影響を非常に強く受けたものになっています。

戦災での焼失前の首里城(昭和13年ころ)
17世紀には薩摩藩によって征服され、薩摩の付庸国という立場になり、支配者は明から大和へと移ります。なお、琉球の富の源泉は中継貿易からもたらされてきました。幕末、討幕運動を進める薩摩藩の財政的後ろ盾になったのも、琉球貿易による利益でした。南洋の孤島が交易で栄えると同時に大国に翻弄される歴史は今も続いているといえます。明、清、薩摩、大日本帝国、アメリカ、日本と沖縄の歴史は他国による占領の歴史、といっても過言ではないのかもしれません。しかし、そこに住む人々は、大国からの文化を柔軟に受け入れ、独自の文化を築き上げる、力強さを持った人たちだということは、今の沖縄の多様性を見れば明らかだと思います。

沖縄へは全国の主要都市から航空便が運行されています。北海道などからは乗り継ぎ便の利用となりますが、多くの地域から那覇空港まで直行便が就航していて便利です。また空港内にはDFSがあり、本土に帰る際に利用できます。また、島内では交通機関はあまり整備されていないため、空港近くでのレンタカー利用が便利です。

2010年8月30日月曜日

ウラジオストクに行きたい

ウラジオストク港(Wikipediaより)
ロシア極東の街、ウラジオストクは日本から一番近いヨーロッパです。街の名前は「東方の支配地」あるいは「東方を征服せよ」というロシア語から来ているとおり、ロシアの領土拡大が極まった場所となっています。モスクワよりも東京、北京、ソウルの方がずっと近い位置関係にあります。

この都市は「不凍港」として、軍事的に大きな意味を持たされました。ロシアが極東での影響力を行使するに当って、重要な拠点として機能し、ソ連時代も軍事都市としての一面を持つ街となります。ソ連崩壊後、極東の玄関口として発展し、日本からの中古車が大量に流入するなど、東西の交流も活発になりつつあります。

しかし、依然として日本とロシアは観光面でも交流が多いとはいえません。2012年にはロシアAPEC(アジア太平洋経済協力首脳会議)がこの地で開催されるのを機に、一気に身近なヨーロッパになると思います。

ウラジオストクでみてみたいのは、ヨーロッパ風の街並みと極東という地理がどう融合したかということです。基本的に建物はヨーロッパ建築のようですが、大戦前には日本人街も形成されるなど、周辺のアジア各国との交流で発展してきた、そんな歴史がどのような街を作ったか、非常に興味があります。本願寺跡の碑や与謝野晶子の歌碑などもウラジオストクに残るみたいです(ウラジオストク空港観光情報より)。

ウラジオストクへは日本からはウラジオストク航空が成田から直行便(チャーター便)を運航しています。木曜と日曜の週2便、帰りも木曜と日曜の週2便となります。所要時間は2時間10分、成田発の国際線でもっとも短い飛行時間になっています。このほか、新潟や富山からもウラジオストク行きの便が運行されています(2010年9月より静岡空港にも定期チャーター便路線開設予定)。なお、ロシアに入国する際には観光の短期滞在でもビザが必要で、ビザ取得にはロシアの旅行会社からの招待状が必要となります。

奈良・山の辺の道を歩きたい

山の辺の道の風景(Wikipediaより、撮影663highland)
日本史の謎、最大のものが弥生時代から古墳時代に繋がる時期のものでしょう。一般的には卑弥呼、邪馬台国の謎として知られますが、邪馬台国の位置の説は次第に「畿内説」に集約されつつあります。卑弥呼の墓も奈良県桜井市にある「纏向遺跡」にあるという説が有力になっています。

この古代史の謎は、この時期の歴史の変化の激しさに起因すると思っています。権力構造や統治構造、信仰、更には国の形までがこの時期に確立されたといえます。そして、この時期を境に記録の連続性がなくなり、一部は忘れ去られてしまったため、「謎」になってしまったのだと思います。


そんな歴史の中を歩けるのが、「山の辺の道」です。三輪山のふもとから春日山のふもとを結ぶ道ですが、その道は現在でも、多少ルートを変えながら残っています。現在の道は一部は住宅街の生活道路に、一部は田畑の畦道になっていますが、歴史は道の周辺に多数残っています。

 起点になる三輪山は現在では「パワースポット」として注目されていますが、この山の北西麓には前出の纏向遺跡がある。この遺跡は卑弥呼の墓とする説が近年有力になっている「箸墓古墳」があります。そして、この遺跡周辺が邪馬台国の王都であったとする考えは、有力視されるようになっています。そのような場所に連綿と「道」が続いている、歴史の大きさ、人の動きを感じられる、いい場所だと思います。

サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路
wikipediaより、Oula Lehtinen撮影)
道は人の生活を支え、交易を促し、文化を作ります。奈良から更に南にいけば、世界遺産に登録された熊野古道もあります。この道は熊野詣での道として知られ、 多くの人がそこを歩いてきました。同じく、世界遺産に登録された道として「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」があります。これも信仰の道であり、道そのものよりも、その道が繋げてきた歴史自身に大きな意味を感じます。

天理市観光協会のWebサイトには山の辺の道の南半分の観光地図が掲載されています。同サイトで確認できますが、山の辺の道沿いには多くの天皇陵、古墳群があることがよくわかります。なお、桜井駅には近鉄、JR双方が乗り入れていますが、大阪や京都から行く場合は近鉄の方が便利になっています。



大阪駅から

大阪駅→環状線→鶴橋駅→近鉄大阪線→桜井駅
(おおよそ1時間でつきます)

京都駅から

京都駅→近鉄京都線→大和西大寺駅→近鉄天理線
天理駅 →JR万葉まほろば線→桜井駅
(おおよそ1時間20分でつきます)

2010年8月27日金曜日

チュニスに行きたい

カルタゴ遺跡
(Wikipediaより)
チュニジアの首都チュニス。小さいとき、駄洒落みたいなネーミングだなと思った記憶があります(チュニジアの国名は、チュニスを都とする国、という意味らしいです)。でもこの都市の持つ歴史は冗談じゃないほど重厚です。古代フェニキア人によって建設されたチュニスは、地中海の覇権を握ったカルタゴの衛星都市として栄えます。カルタゴはエジプトからリビア、モロッコのアフリカ沿岸部に加えて、イベリア半島南部、地中海の島々を制圧して、この地域の中心として栄えます。

しかし、紀元前264年に始まるポエニ戦争の結果、カルタゴは壊滅。住民は虐殺され、土には塩をまかれてその復活を封じ込められてしまいます。チュニスの街も破壊されたものの、ローマの属州となって再建され、現在の都市の礎となりました。

チュニスのイスラム寺院
(Wikipediaより BishkekRocks撮影)
7世紀にはイスラム教徒がこの地を支配し、1881年にフランスの保護領となるまで、一時的なスペイン統治を除いてイスラム社会が1000年以上続くことになります。この時期に住民の大半はイスラム化され、街にもイスラム風の建物や寺院が数多く建設されていきます。このイスラム建築が多く点在するチュニスの旧市街は世界遺産に登録され、美しく荘厳な建物を残しています。

イスラム建築は宗教的な概念を色濃く反映させていて、西洋建築、日本建築とはまったく異なった様式美を持っています。そんな建築をみるのも、チュニジアに行きたいひとつの理由です。

チュニジアには日本からの直行便がなく、ヨーロッパで比較的国内からの便の多いパリ経由やフランクフルト経由が一般的なルートとなっています。イスタンブール経由で、どっぷり歴史めぐりってルートも楽しそうです。

映画の舞台、ムンバイに行きたい

ムンバイの写真
(Wikipediaより 作成Nikkul )
スラムドッグ$ミリオネア(2008年、ダニーボイル監督)の舞台になったのがムンバイです。昔はボンベイと呼ばれていましたが、1995年に現地語の発音に拠る「ムンバイ」に改名されました。この1995年から2005年までの10年間、ムンバイは激動の時代を向かえ、インドを代表する金融都市へと生まれ変わりました。

その変化は映画の中にも現れています。主人公はムンバイのスラムで育ち、貧困の沼に飲み込まれていきます。街が発展することで、貧困の質は変わりますが、スラムで育った子供の苦しみは、個々の人生に取り返しのつかない傷を残します。主人公はヤクザとなった兄と、開発中の高層ビルで再開します。そこでムンバイの変化と自分たちの変化が象徴的にリンクされています。

この映画の舞台となったムンバイに行きたいです。発展でかわったところ、かわらなかったところ、人の生活、街の雰囲気。東京では味わえない、そんな空気に触れたいです。そこで触れた空気は、きっと旅から帰った自分に新しいスターと地点を見つけさせてくれると思います。インドの伝統的な文化、イギリス統治時代、そして発展した今、この3つが同じ都市に並存している街は貴重だと思います。

なお、ムンバイには全日空が全席ビジネスクラスの直行便を就航させるなど、ビジネス需要も多いみたいです。ムンバイへは成田からの直行便かシンガポール経由が一般的なルートになっています。

2010年8月26日木曜日

ミュージアムリンクパスを完成させたい

リンクパス
森美術館HPより)
六本木の森美術館、金沢の21世紀美術館、直島(香川)の地中美術館の3館でスタンプラリーをやってます。すべてそろえると記念品がもらえ、しかもハンコをもらうと割り引きもあるのですが、マイナーなスタンプラリーなのか、私以外ではんこをもらっている人をあまり見かけません。という私も、3館とも何度か行ったことがあるのですが、そのたびに「あっ、スタンプの台紙忘れた」となってしまっています。

森美術館は六本木ヒルズ内にある美術館で、意欲的な企画展が有名です。周囲の国立新美術館、サントリーミュージアムとの連携も模索されていて、企業が運営する美術館でありながら非常に質の高い美術館です。会員向けに展示会の解説ツアーや講演会を行うなど、興味のある人をひきつける試みも積極的に行っています。

金沢の21世紀美術館は市立美術館として開業したものの、これまでの公立美術館のような収蔵方針を改め、将来性のある芸術家の作品を集めている点が評価されています。その結果として「印象派の巨匠の作品を1点、ピカソを数点、地元画家の寄贈作品の展示」なんていうどこにでもある美術館にはなりませんでした。また集客力も強く、完成から6年程度にもかかわらず、すでに金沢のランドマークにもなっています。

地中美術館の入り口
(Wikipediaより 撮影663highland)
地中美術館は香川県の直島に建てられた美術館で、ベネッセの創業者が出資した財団によって運営されています。収蔵作品は少ない(モネの睡蓮を含めて数点)ものの、建物自身、展示方法自体もアートとなっていて、美術館としての完成度は高くなっています。これは非常に珍しいと思います。また、直島には地中美術館のほかに、ベネッセアートミュージアムがあり、また芸術作品が島内に点在し、屋外展示も行われています。こうした試みは島南部だけで行われていますが、1日では回りきれないくらいの場所になっています。


この3館を東京発着で3日(9月18,19,20日を想定)で回るプランを考えます。

まず、土曜日の午前中に森美術館へ、14:00分羽田発のJAL1407便でで高松空港に向かいます。そこから高松港へ移動してフェリー(18:05分発)で直島に到着。

土曜日、日曜日と直島泊として、日曜日は一日直島観光。

月曜日、始発(6:00分発)のフェリーで岡山側の宇野へ。宇野駅からJRで岡山へ、新幹線へとの乗り継いで新大阪からサンダーバードで金沢に。到着が11時14分で美術館まではバスと徒歩で20分くらい。帰りの飛行機を20:15分発のJAL1282便にすれば、さほど大きな館ではないのでゆっくり見ることができるでしょう。

おもいっきり駆け足での3館めぐりですが、3日だとぎりぎりかな、って感じはします。森美術館(上のプランだと2~3時間しか時間が取れません)は金曜日の夜に行くのもアリかもしれません。

ニュルンベルクのクリスマスマーケットに行きたい

この時期のドイツといえば、ミュンヘンのオクトーバーフェスタが有名です。でも、今から旅行の計画を立てるとしたら、やっぱりクリスマスマーケットです。ドイツ中の都市の広場に小さな屋台が軒を連ねて、ホットワインやクリスマスグッズを売っていて、すごく活気のあるイベントです。数年前、ケルンのクリスマスマーケットには行ったことがあるのですが、ニュルンベルクのクリスマスマーケットはさらにすごいと聞いて、そちらに行きたくなってます。

ドイツのクリスマスマーケットの様子
(Wikipediaより、ReneS at flickr)
クリスマスマーケットには屋台のほかに移動遊園地もきて、街中がちょっと浮かれた気分になるのがいいです。ニュルンベルクのマーケットには毎年200万人もの観光客や地元の人が訪れるといわれていて、一大イベントって感じでしょう。

でも12月25日の朝、祭りは途端に終わり、街は閑散としてお店もほとんどが閉まってしまいます。広場には撤去を待つ屋台が昨日までの姿が嘘のように、ひっそり置かれています。その落差もまた面白かった記憶があります。ちなみに、ドイツの小売店は日曜・祝日は原則閉店、年末も早めに店を閉めてしまいます。働く人優先の法律があるみたいです。

後もうひとつ、クリスマスシーズンに行くなら、ヨーロッパのどこかの都市経由でいくと、いいかもしれません。私はロンドン経由で行ったのですが、家族の元、恋人の元に帰るビジネスマンや学生がプレゼントや花を持って飛行機に乗ってます。で、到着口で子供や恋人と再会、これを見ただけでも、なんだか和んでしまいます。

クリスマスマーケットは11月下旬から12月24日まで。ドイツの各都市で開催されます。

2010年8月25日水曜日

長崎に行きたい

大浦天主堂
江戸末期に建てられた教会
Wikipediaより)
長崎の魅力はやっぱり戦国時代から続く海外との交流を通して形成された独特の雰囲気でしょう。交通の要衝、地域の中核というわけではなく、どちらかといえば中央への影響が少ない、という理由で海外との窓口なった長崎ですが、幕末には開国の震源地として多くの志を持った若者を集める街になります。

交易だけでなく、長崎の街には外国の文化、習慣が持ち込まれ、食文化や言葉にも影響を与えたといわれています。また宗教面でもキリスト教が広く普及し、禁止令下でも多くの住民がキリスト教を信仰していたと伝えられています。ただ、信仰は次第に変化し、地域の伝統と融合し、西洋のキリスト教とも異なった形になっていったのは興味深い点ではあります。

NHKの大河ドラマの影響で坂本龍馬ブームといわれますが、彼も長崎を目指した一人です。長崎には幕末の混沌を清流へと導く、何かがあると信じられていたと思います。その正体は「情報」だったのでしょう。唯一開かれ続けた街にあふれる外国の情報の渦巻きが若者をひきつけ、長崎の地を旅立った若者が日本を変えたのだと思います。

その「情報」と「情熱」の残滓は確実に長崎に残っています。そして、長崎を旅立った人が残した功績は間接的に長崎にフィードバックされ、街の魅力を高めていると考えます。その後に長崎を襲った悲劇でも消えることのない、「街の魅力」は私をひきつけてやみません。

長崎へは東京から飛行機で2時間、ANA(SNAとのコードシェアを含む)だけでも一日8便、スーパー旅割を使えば、片道1万2,600円から。

イスタンブールに行きたい

コンスタンティヌス1世
(Wikipediaより)
撮影 Jean-Christophe BENOIST
コンスタンティノープル、ビザンティオンと呼ばれた都市。歴史の変遷とともに、都市の名前は変わっていきました。「コンスタンティノープル」は330年にローマ皇帝、コンスタンティヌス1世にちなんで「ビザンティオン」から改名されたものであり、旧名の「ビザンティオン」は紀元前600年代にこの地に殖民した民族の王「ビュザンタス」にちなんで名づけられたものです。

その後、15世紀にこの地がオスマン帝国によって支配されたとき、トルコ語での呼び名であったイスタンブルと呼ばれるようになり、20世紀のトルコ革命後、正式に「イスタンブール」と呼ばれるようになりました。当地がこれほど歴史の舞台となったのは、やはり海峡の街であり、さらに地峡の街であるからでしょう。ヨーロッパからアジア、アジアからヨーロッパ、この行き来においてイスタンブールは非常に重要な場所になります。



聖ソフィア大聖堂
Wikipediaより)
今のイスタンブールの旧市街はオスマン時代の影響を大きく受けています。逆に言えば、ローマ時代の遺物は上書きされているということです。この上書きの代表作が、聖ソフィア大聖堂でしょう。オスマン帝国がこの地を占領して、まず最初に行ったのが、この聖堂の略取とモスクへの転換でした。現在もイスラム寺院として利用されており、建物自身もその歴史も、イスタンブールを象徴する存在になっています。イスタンブールに行くなら、絶対に、まず最初にいかなければならない場所でしょう。なお、世界遺産にも登録されています。



google streetview にあるイスタンブールの画像
あとイスタンブールで行きたいのは旧市街。ヨーロッパ側に広がる街は古くからの市街で、建物は密集し独特の生活空間となっています。壮絶な歴史を持つこの場所も、連綿と日常が繰り返され、いまも多くの人の生活の場になっています。こういう雰囲気を味わうにはイスタンブールは世界中の都市のなかでもまれな存在と思います。右の写真はgoogle street viewのものですが、私には非常に魅力的な町並みに見えます。
  
トルコへは成田、関空から直行便(トルコ航空)が就航していて、イスタンブル郊外のアタテュルク国際空港までは約12時間で到着できます。なおトルコ航空はスターアライアンスメンバーのため、世界一周航空券が利用できます。

2010年8月24日火曜日

世界一周ができるWebサイト

http://www.staralliance.jp/pr/fares/round_the_world.html

スターアライアンスのサイト内にある、世界一周航空券の紹介ページです。ページ中ほどにある「Book&Fly」から旅程の計画・シミュレーションが可能です。


このページで試しにルートを検索しました。左の写真のように、経由地を選択していって1周旅行をプランニングしていきます。地図中の青い四角は当地から直行便の出ている都市、白抜きの四角は経由便を利用する都市になります。


最終的に、東京→上海→シンガポール→ムンバイ→カイロ→イスタンブール→チュニジア→フランクフルト→リスボン→ボストン→サンフランシスコ→東京というルートを妄想。

このルートでエコノミークラス38万円、悪くないですね。あとは時間が許せば、です。それぞれ2~3日滞在したとして20日程度かかるので、長期休暇がほしいところです。

目標は世界一周

いつか世界一周航空券(Round-the-world ticket)で旅をすることを目標に、旅行に対する思いを書いていきます。国内旅行、海外旅行、行きたいところ、行ったところ、ゆっくり更新していきます。

旅行に関連して地域の芸術や歴史、料理、交通なんかもこのブログを書きながら勉強していきたいと思っています。写真も行ったことのある場所のものは積極的に掲載しようと思います。

2010年8月1日日曜日

「いきたいとこ、いったとこ」について

写真の引用

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