2010年8月30日月曜日

奈良・山の辺の道を歩きたい

山の辺の道の風景(Wikipediaより、撮影663highland)
日本史の謎、最大のものが弥生時代から古墳時代に繋がる時期のものでしょう。一般的には卑弥呼、邪馬台国の謎として知られますが、邪馬台国の位置の説は次第に「畿内説」に集約されつつあります。卑弥呼の墓も奈良県桜井市にある「纏向遺跡」にあるという説が有力になっています。

この古代史の謎は、この時期の歴史の変化の激しさに起因すると思っています。権力構造や統治構造、信仰、更には国の形までがこの時期に確立されたといえます。そして、この時期を境に記録の連続性がなくなり、一部は忘れ去られてしまったため、「謎」になってしまったのだと思います。


そんな歴史の中を歩けるのが、「山の辺の道」です。三輪山のふもとから春日山のふもとを結ぶ道ですが、その道は現在でも、多少ルートを変えながら残っています。現在の道は一部は住宅街の生活道路に、一部は田畑の畦道になっていますが、歴史は道の周辺に多数残っています。

 起点になる三輪山は現在では「パワースポット」として注目されていますが、この山の北西麓には前出の纏向遺跡がある。この遺跡は卑弥呼の墓とする説が近年有力になっている「箸墓古墳」があります。そして、この遺跡周辺が邪馬台国の王都であったとする考えは、有力視されるようになっています。そのような場所に連綿と「道」が続いている、歴史の大きさ、人の動きを感じられる、いい場所だと思います。

サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路
wikipediaより、Oula Lehtinen撮影)
道は人の生活を支え、交易を促し、文化を作ります。奈良から更に南にいけば、世界遺産に登録された熊野古道もあります。この道は熊野詣での道として知られ、 多くの人がそこを歩いてきました。同じく、世界遺産に登録された道として「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」があります。これも信仰の道であり、道そのものよりも、その道が繋げてきた歴史自身に大きな意味を感じます。

天理市観光協会のWebサイトには山の辺の道の南半分の観光地図が掲載されています。同サイトで確認できますが、山の辺の道沿いには多くの天皇陵、古墳群があることがよくわかります。なお、桜井駅には近鉄、JR双方が乗り入れていますが、大阪や京都から行く場合は近鉄の方が便利になっています。



大阪駅から

大阪駅→環状線→鶴橋駅→近鉄大阪線→桜井駅
(おおよそ1時間でつきます)

京都駅から

京都駅→近鉄京都線→大和西大寺駅→近鉄天理線
天理駅 →JR万葉まほろば線→桜井駅
(おおよそ1時間20分でつきます)