2011年1月14日金曜日

シカゴの思い出、オヘヤ空港は大混乱

1987年、小学生のときですが、父親の仕事のついでに家族でアメリカを旅行しました。父親の勤務先がジョージア州にあったので、伊丹→成田→シカゴ・オヘヤ→アトランタと乗り継ぎ、すごく疲れた記憶が残っています。アトランタ郊外の小さな街に1週間ほど滞在して、その後2週間でフロリダ、ニューヨーク、ワシントン、サンフランシスコと回って再びシカゴから帰路に、結構ハードな旅行でした。

2008年の洪水を伝えるCNNの記事
1987年の大雨記録を更新したと赤枠内で伝えている
その帰りの飛行機に乗り継ぐため、シカゴに到着した私たち家族でしたが、着陸前から機内は少しざわつき、機内アナウンスはただならぬ状況を伝えているようでした。家族で英語ができるのが父親だけ、父親も専門用語以外はそれほど十分な英語が理解できない様子で、状況を把握しかねていました。

降機し、空港の混雑具合で状況が徐々に分かってきました。「大雨が続いたことで空港は閉鎖され、帰国便は次の日までディレイ」、「市内に向かうタクシーには長蛇の列」、「どうも大雨でバスなどの交通機関が動いてないらしい」というところまで分かりました。分かったところで対処できない。何とかタクシーに乗って、近隣の空室のあるホテルを探すも、英語のあまり話せないアジア人家族を混乱の中で泊めるホテルは少なく、結局かなりボロいホテルのかなりボロい部屋に泊まれるることになりました。

父親はタクシーの運転手さんに結構なチップを払って、運転手さんと一緒に部屋探しして、もう泊まれるだけで十分ってレベルのところで妥協したようです。

翌日、ホテルからタクシーで再び空港に行く途中の街の様子や空港で買った新聞で前日の洪水がどのくらいひどかったのかがようやく理解できました。旅行最終日に大混乱した思い出が今も鮮明に残っています。因みに予定していた成田-伊丹便には乗れず、東京から新幹線しかもグリーン席(お盆で普通席は満席)で帰ったのは、いい思い出になりました。