2010年9月16日木曜日

フィレンツェに行きたい


フィレンツェの街並み
(Wikipediaより 作製DanieleDF1995)

イタリアは日本人の観光地としてすごく人気があります。少し前ですが、旅行会社のカウンターで手続きをしていたら、隣に新婚旅行のプランを立てている夫婦がいました。自分が新婚旅行に言ったときのことを思い出しつつ、ちょっと話を聞いてしまいました。旅行計画は奥さん主導で進んでいるみたいで、旦那さんは「いいんじゃない」って言う程度でした。その旅行先もイタリアでしたが、最後に旦那さんが「で、ローマって観光するところあるんですか?」って聞いて奥さんが苦笑いしていました。もう少し、2人で相談してからカウンターに来ればよかったのに、、、と思いました。


そんなローマより、フィレンツェに行きたい。ローマは言わずと知れたローマ帝国の帝都。歴史もその時代にさかのぼり、市内には多くの遺跡や建造物があります。映画「天使と悪魔」にあるように、キリスト教とのかかわりも深い、興味深い街です。一方、フィレンツェは14世紀から15世紀にかけてに栄華を極め、その時代の街並みや美術品、建物が多く残る街になりました。

フィレンツェの栄華の礎を築いた
コジモ・デ・メディチ
フィレンツェを語る上で、避けて通れないのがメディチ家の存在です。メディチ家はフィレンツェを中心としたトスカーナ地方の支配者となり、その庇護の下で芸術が大きく花開きました。芸術や建築はメディチ家の存在を背景にこの地に根付きます。しかし1966年の大洪水で多くの美術品が破損してしまいます。その復元は市をあげて行われ、メディチ家が種をまいたフィレンツェの芸術が市民にも浸透して、いまでも市民全体が芸術を守る気持ちを大切にするようになっています。

こうした活動を通して、はぐくまれた絵画などの修復技術は世界的にも認められ、フィレンツェのひとつの特徴となっています。

フィレンツェへはローマ経由で行く方法と、ヨーロッパの主要空港(ロンドン、フランクフルトなど)を経由していく方法があります。交通の便は悪くないので周遊観光でも行きやすくなっています。

2010年9月15日水曜日

アルジャントゥイユに行きたい

アルジャントゥイユのセーヌ川にかかる橋
(Wikipediaより、撮影Remi Jouan
フランス、アルジャントゥイユはパリの北西部に位置する人口10万人ほどの小都市です。パリ郊外といえば貴族や王族の邸宅が点在する、そんなイメージですがアルジャントゥイユ周辺はさらにのどかな地域のようです。ちなみに、パリ北西部の同市近隣地域にはヴェルサイユ宮殿があるなど、比較的優雅な地域になっています。反対にパリの北東部はニューカマーが多く住み、治安面でも不安定な傾向が強いみたいです。

 このアルジャントゥイユが普通の田舎と違うのが、多くの画家がこの地の風景を好んで題材に選んだという点です。モネ、シスレー、ルノワールなどがこの地の風景を作品に残しています。特にモネはこの場所で多くの作品を残して、その後の円熟へとつなげていきます。


モネが描いたアルジャントゥイユの橋
所蔵 Neue Pinakothek)

モネの絵は日本でもファンが多く、私もその一人ですが、展覧会も多く開催されています。また国内の美術館での所蔵も数多くあり、このブログで紹介した地中美術館にもモネの睡蓮が展示されています。睡蓮をテーマにした作品は多く発表されていますが、モネの視力が低下するに従い、抽象的な側面を強めていきます。抽象化は後の絵画にも影響し、また現代美術に繋がる重要な表現にもなりました。そのモネが住んだアルジャントゥイユに行ってみたいです。

パリへは日本からも直行便が多数就航しています。アルジャントゥイユはパリから日帰りもしくは1泊圏内に在ります。

2010年9月13日月曜日

釧路の市場にもういちど行きたい

食べログの紹介ページのスクリーンショットです
学生時代、北海道を旅行したとき、釧路の市場に行きました(和商市場)。まず、白いご飯を買って、その上にトッピングする海鮮を好きなお店で購入する、面白い形式でした(勝手丼というらしいです)。その頃、学生で貧乏旅行をしていたので買える具に限りがあって、周りの人のおいしそうな海鮮丼をうらやましそうに見ていた記憶が、まだ鮮明に残っています。

釧路に限らず、漁港近くの市場は面白いですね。金沢では魚の卸売市場近くの回転寿司店がすごくおいしかったです。仲卸をやっている友人に案内されていったのですが、地元の魚介が「回転寿司価格」で食べられました。山口に行ったときは、下関の市場が面白かったです。お寿司が1つから販売されていて、その場で食べられる場所もありました。タイムセールで、すごく安く食べられた記憶があります。

築地卸売市場の観光客のマナーが問題となりましたが、市場は観光のメインになり得る、そんな場所なのは確かです。外国に行っても、マーケット広場は街の中心にあって、多くの人が集まり、そこでの発見は旅行の印象を左右するものが少なくありません。できれば、日本の市場もできるだけ多くの人に開放してほしいなぁと思います。

釧路へは東京から直行便の運行があります。また札幌(丘珠)や千歳、函館にも就航しているので道内での観光の移動は比較的楽にできるでしょう。なお、JRでの道内の移動は想像以上に時間がかかるので、下調べが必要です。

2010年9月7日火曜日

五島列島に行きたい

長崎県の五島列島は五つの大きな島を含めて、約140もの島で構成されています。このうち、有人島は27ありますが、人口が50人に満たない島が12あるなど、非常に小さな島が寄り集まった地域といっていいでしょう。

福江島の堂崎教会
(Wikipediaより)
五島列島のうち一番大きな島は福江島で、この島には4万人を超える人が生活しています。また空港やフェリー港も整備されていて、観光の拠点となるのはこの島になると思います。福江島にも多くの観光地があり、明治初期に建設されたカトリック教会が点在していることでも知られています。

この地域にカトリック教会が多く建設された背景には、戦国時代にさかのぼる歴史的背景があります。もともと五島列島はキリシタン大名であった宇久氏の領地であり、純尭氏はキリシタンへの傾倒を強めていき、領民の多くがキリスト教徒となりました。しかし、キリシタンへの反発はこの地でも強く、次第にキリシタンは弾圧され地下にもぐります(隠れキリシタン)。

その後、江戸時代に入って日本は鎖国時代になり、各地で密かに信仰されていたキリスト教は世界と断絶されて形を変えていきます。五島列島でも長く「キリシタン」が信仰されていましたが、江戸時代末期に外国人の目に触れた信仰はキリスト教徒は似ても似つかないものになっていたといわれます。

地元の土着信仰と融合し、地域の生活に溶け込む中でキリスト教はまったく形を変えてしまったといわれています(カクレキリシタンと呼ばれ、キリスト教とは分けて考えられています)。もともとのキリスト教も、ヨーロッパに広がる過程で、土着信仰を吸収して形を変えたといわれていますが、こうした変化は非常に興味深いものだと思います。そうした意味でも五島列島の教会や郷土資料、遺跡、伝統行事などは一度見てみたいと思っています。

五島列島へは佐世保、長崎からのフェリーのほか、関西空港や長崎空港と福江島の空港を結ぶ便が運行されています。

2010年9月6日月曜日

リスボンに行きたい

天正少年使節団の記録
(Wikipediaより 京都大学図書館蔵)
ポルトガルの首都、リスボン。日本との繋がりは古く、有名なザビエルやフロイス(リスボン出身)はポルトガルを出発して、インド経由で日本に来ました。日本からも天正遣欧少年使節がリスボンを訪れています。この使節団は戦国時代のキリシタン大名によって組織され、1582年に出発。イエズス会のバックアップもあり、ローマ教皇とも謁見して、8年後の1590年に帰国します。

この頃(16世紀頃)のリスボンは日本と深い関係にあったわけではなく、南米、アフリカ沿岸部、アジア海洋地域とつながる玄関になっていました。キリスト教の布教と香料貿易の独占を目指して、野心的な航海が続けられる、非常に活気のある都市だったようです。


リスボンの風景
(Wikipediaより 著者はこちらを参照
しかし、次第に世界の覇権はイギリスへと移り、ブラジルからもたらされた黄金も大半がイギリスへと流出してしまいます。しかし一部の富は国内での豪華な建築へと向けられ、現在もリスボンに残る、サン・ヴィセンテ・デ・フォーラ修道院やサンタ・エングラシア教会は堂々とした建築物になっています。そうした反映の名残と人々の生活が入り混じったリスボン市街は非常に魅力的な観光地になっていると思います。

リスボンへは国内からの直行便がなく、ロンドンやパリなどを経由するのが一般的です。そのため所要時間は18時間ほどかかることも珍しくないようです。

2010年9月2日木曜日

尾道に行きたい

尾道の坂
(Wikipediaより 撮影663highland)
尾道三部作といわれる「時をかける少女」「転校生」「さみしんぼ」の舞台になった尾道。広島県の沿岸部に位置して、海岸線ぎりぎりまで山が迫る、典型的な日本の港町です。そんな尾道を舞台にした映画が、この三部作なのですが、これは監督(映画作家)の大林宣彦さんが尾道出身だったことに由来して、舞台をここにしたという訳です。

時をかける少女はアニメ化もされ、今でも多くのファンを持つ映画(作品)になりました。ただやっぱり、尾道を舞台とした映画版には独特の雰囲気があります。その雰囲気を最大限に引き出したのは監督の出身地への思いだったと感じます。

そんな尾道ですが、最近は「しまなみ海道」の本州側の起点にもなっていて、ドライブやツーリングで訪れる人も多くなっているようです。しまなみ海道は瀬戸大橋や明石海峡大橋と違って、自転車でも通行可能です。友人にも自転車で渡った経験のある人が少なからずいます。サイクリングで渡る人向けのWebサイトも用意されています。

私も、尾道で映画の舞台めぐり、その後自転車で瀬戸内海横断なんていう旅行がしてみたいです。ちなみに、しまなみ海道(尾道~今治)の距離は70kmで、早い人で4時間、遅くても7時間もあれば横断できるでしょう。休憩しながらなら、朝から晩まで、ってところかもしれません。海の上なので風が強くて、思った以上に体力を消耗しそうですが、景色はよさそうだなぁ。

2010年9月1日水曜日

ニューヨーク近代美術館に行きたい

ニューヨーク近代美術館・新館
(Wikipediaより、撮影hibino)
MoMA(ニューヨーク近代美術館 The Museum of Modern Art,New York)は20世紀以降に発表された作品を中心に収蔵する、世界でもっとも有名な美術館のひとつです。当時は前衛的であったポスト印象派の画家の作品を展示することから始まり、20世紀、21世紀の現代美術のひとつの中心となった場所です。

また絵画だけでなく、ポスターや写真、映画、工業製品も収蔵の対象となっており、アンディ・ウォホールのシルクスクリーンのポスターや小津安二郎監督の「東京物語」、ボーイング777のエンジンに使われているファンブレード、アップルのPower Mac G4 Cubeなども収蔵されています。美術館がこうした「作品」や「製品」を芸術作品として捉えることで、芸術の範囲を拡大し、人々の感性の地平を広げるものとして、非常に意義深いものだと思います。

またニューヨーク近代美術館の見所のひとつに、建物の美しさもあると思います。同美術館の新館は日本人によるもので、豊田市美術館などを手がけた、谷口吉生の設計で建てられました。この建物も美術館の魅力を増す、ひとつの要素になっていると思います。

ニューヨークへは国内では成田から直行便が運行されています。このほかにも、ソウル経由でニューヨークへと向かい方法もあります。最近は地方の空港に大韓航空やアシアナ航空が乗り入れています。この地方空港からソウル便を使えば、成田を使うよりも便利にニューヨークに行ける場合もあるようです。