2010年10月5日火曜日

冬の函館は寒くてもいい

函館山(山頂は展望台)と倉庫街
北の大地、北海道。その玄関口となっていたのが函館です。函館の魅力は、玄関口としての人の流れ、歴史の流れだと思います。人が集まり、富が集まり、ときには悲劇も起こりますが、それを乗り越えた街の魅力が函館にはあると思います。青函連絡船の到着口からJR函館駅まで、自由席に座るために走った記憶のある人も少なくないと思います。ただ、連絡線はすでに廃止され函館は玄関口の街としての役割を終えました。

函館は今、歴史と観光の街として道内外、さらには海外からも観光客を街に生まれ変わりました。これも人の動き、交流の拠点となったことで多くの歴史が刻まれた結果といえます。その歴史を流れるように見られるのが「市立函館歴史博物館」です。冬季も開館していますが、人は少なく、静かに見学できます。所蔵品は縄文時代(北海道の縄文時代は7世紀ごろまで続きます)から幕末、戦中に至るまで多数です。いわゆる郷土資料館といった展示です。

(函館ハリスト正教会 wikipediaより)
撮影:Route275
 函館の歴史のピークは松前藩時代のアイヌ民族との交流(戦も含む)と幕末蝦夷共和国の建国といっていいでしょう。松前藩は米作ができないため、年貢は北海道の物産で幕府に納めていました。それら物産はアイヌ民族との交易によって得られ、その交易は時に武力を伴う衝突にまで発展します。

この蝦夷地交易の富は松前藩の城下町、函館に集まりこの地を反映へと導きます。しかし明治維新後、たびたび襲う大火や戦災によって、古い町並みは多くが焼失しています。


歴史は北辺の街、函館に奇異な役割を与えます。五稜郭はその象徴として現存し、建物も復元されました。また五稜郭タワーからは中世の攻城戦を想定した城郭がはっきり確認できます。また函館は幕末から海外に開かれた港街となり、居留地や領事館、キリスト教寺院の建設が進み、現在でも奥の建物が残っています。これも観光資源となり、現在も多くの人が訪れています。
函館へは、羽田から飛行機が一番便利でしょう。2010年12月には新青森まで新幹線が開通しますが、青函トンネルは長く、新幹線を降りてからも函館までは相当の時間がかかってしまいます。