京都の連隊といえばおそらく、歩兵第9連隊だろうと後からわかりましたが、東北地方の小さな町から京都に招集され、そこから南方へと派遣されたご老人の人生は今の時代ならワールドワイドといわれるのかもしれません。
そのご老人が京都といって最初に口にされたのが、京都御所の荘厳さでした。砂利が敷き詰められ、ピンと張りつめた空気に綺麗な白壁、そのころの天皇の権威を建物と敷地が演出していたのでしょう。ご老人曰く「こんな綺麗な建物見たことなかった、東北の田舎から出て行った若者だから、そりゃ驚いたよ」と。戦地に赴く前の見学であったようで、その建物の主のために命を賭する決意や覚悟も芽生えたのかもしれません。
陽明門に繋がる参道 |
陽明門 |
各地の大名やその後の徳川家の将軍、家臣達も神格化された家康の権威、それを演出する東照宮の荘厳な建物にひれ伏したのもうなずけます。世界遺産に登録され、世界各国から観光客を集めていますが、未だにその荘厳さを保っている貴重な場所と言えます。