2010年10月28日木曜日

都井岬に行きたい

日南海岸といえば、温暖で穏やかなイメージがありますが、「巨人のキャンプ地」としてしか知らない、という人も多いと思います。ジャイアンツは毎年宮崎県の青島でシーズン前のキャンプを行い、当地の青島神社に参拝することは有名です。実際に奉納され絵馬を見ることもできます。

都井岬の野生馬
(Wikipediaより、JKT-c撮影)
その青島から海岸線沿いに南下していくと、小さな半島へと繋がります。これが都井岬です。半島の先端には灯台が設置され、日本の灯台50選に選ばれているようで、ある程度有名な灯台のようです。しかし、半島の一番の見所は「野生馬」でしょう。実際は牧場の管理の下に放牧されていて、野生ではないのですが、管理はゆるく、馬体も在来種の特徴を色濃く引き継いでいることから「野生馬」と呼ばれています。

おそらく、戦国時代の軍馬や弥生時代から利用されてきた農耕馬は都井岬の野生馬のような体型をしていたのでしょう。いまでは時代劇でもサラブレッドやアラブ種の馬が登場しますが、野生馬との違いは歴然です。野生馬が持つ力強さは、戦国時代や鎌倉時代の合戦のイメージを大きく変えるといっても過言ではないでしょう。一目見る価値はありそうです。

2010年10月22日金曜日

TGVに乗って南フランスの旅に行きたい

TGVの路線図(Wikipediaより)
 ヨーロッパはドイツ、フランスと鉄道大国で、大都市間は鉄道で結ばれています。また国境をまたぐ鉄道路線もあって、ドイツの駅からオーストリアに鉄道でスキーに行く、何てことも一般的です。なかでも超特急として知られているのがフランスのTGVとドイツのICEスプリンターです。

フランスTGVは営業車両の速度世界一の記録を持っていますが、日本の新幹線(全高架式)と違って地面を走っています。そのため上空から撮影されたTGVの映像はフランスの平原の中を突き抜ける、すごく迫力のある画像になっています。

このTGVに乗ってパリからニースに旅行したいな。フランス中部を突っ切って、パリからワイン畑をみながら南仏へ。途中からは海岸沿いを眺めながらニースへ。うーん。いつか行きたいです。



TGV地中海線
(Wikipediaより、Jean-Marc Rosier撮影)

2010年10月7日木曜日

スコットランドでウィスキーを飲みたい

スコットランドは昔から蒸留酒の製造が盛んで、そこで作られたスコッチウィスキーは世界的なブランド力を持っています。ウィスキーにかけられる税金を逃れるために、山奥でひっそり作られていた密造酒が今のウィスキーのひとつの原点になっているとの説もあります。そのためウィスキーは森や木、土という要素が強いお酒です。

10月下旬、アイラ島の朝
(wikipediaより、Finlay McWalter撮影)
スコットランドのアイラ島で製造されるウィスキーは多くが「ピート香(ヨード臭)」と呼ばれる、独特の香りを持ちます。これはこの地域の泥炭(海草が腐らずに炭化した物質を含む)で原料である大麦を燻して香り付けするためであり、非常に独特の香りになっています。さらに熟成される樽(香りを高めるために内側を焦がしたり、シェリー酒を作った樽を再利用するなどの工夫も各地で行われています)の香りがウィスキーに添加され、木と土の香り高いお酒に仕上がります。

仕上がったウィスキーはそのまま飲まれることもありますが、味を調整(均質化)するため、複数の樽で作られた原酒をブレンドして瓶詰めされます。このブレンドも非常に高い技術と経験が要求され、スコットランドで造られるウィスキー(スコッチ)の強みにもなっています。また日本ではスコッチはシングルモルトウィスキーとして有名ですが、当地ではトウモロコシを原料としたグレーンウィスキーとのブレンドでより「まろやかな味」になったブレッディドウィスキーの製造のほうが盛んです。

一度、宮城県の宮城峡(ニッカヰスキーの醸造所)で原酒を買って帰ったことがあります。50mlで5,000円という驚くような価格でしたが、非常に美味しく、個性的な味でした。この経験は今でも強烈に残っていて、いつかはスコットランドの醸造所に行って原酒かそれに近いお酒を飲んでみたいと常々考えています。

スコットランドへはロンドンから国内線へと乗り換えるか、ヨーロッパの主要都市経由で入る方法があります。後者のほうが航空会社の選択肢が広く、比較的安くいけるようです。またロンドンでの入国審査は厳しいとの噂もあり、スコットランドのスキポール空港で入国審査を受けるほうが楽、と言う情報もあります。

鳥海山にもう一度行きたい

夏の鳥海山(wikipediaより、撮影ChiefHira)
学生時代、青森から福島まで自転車で旅行しました。この旅程の中で印象に残っている場所のひとつが鳥海山です。自転車で行った都合上、5合目までしか登れなかったのですが、晴れの天気と綺麗な山、そしてすぐ下に広がる日本海は絶景でした。車でも同じ道(鳥海ブルーライン)で5合目まで登れます。きっと、山頂まで行くともっと綺麗だったのでしょう。もう一度行きたいです。

鳥海山は1974年に小規模な火山活動があったみたいですが、現在は落ち着いているようです。紀元前5世紀には大規模な噴火で山が崩壊しており、現在の形になったと考えられています。この噴火以降も活動が続いていますが、現在は前述のように落ち着いています。

鳥海山に登るルート、鳥海ブルーラインは夏は綺麗な景色、GW後の開通時は雪の壁の中を走る、非常にエキサイティングなルートです。登山でも、車でも行ってみたい。そんな場所だと思います。

鳥海山へは山形JR酒田駅から登山口まで3往復のバスが運行されています。帰りの最終は15:45分になっています。

2010年10月6日水曜日

タリン(エストニア)に行きたい

続編あります
タリンに行ってきた

エストニアの首都、タリン。日本ではあまりなじみがないですが、それもこの国が旧ソビエトだからでしょう。旧共産圏の東ヨーロッパは西側諸国とのかかわりも浅くなかったですが、ソ連邦本体は西側と厚い壁を築いていました。

タリン旧市街(wikipediaより)
そのソ連からいち早く独立したバルト三国の中で、一番北に位置するエストニアの首都、タリンは旧市街が世界遺産に指定されており、観光客も多く訪れる街になっています。また、物価が安くなっているため北欧諸国からの買い物客も多いみたいです。

旧市街ですが、城壁に囲まれた周囲2.5キロの小さなエリアに歴史的な建物が集中しています。山の手には貴族の屋敷や教会、ダウンタウンには庶民の生活に根付いた建物が現存しています。世界遺産に指定されている場所は小さな街なので1日から2日である程度の観光は可能でしょう、また要点だけなら、半日でも問題ないとのことです。

タリンへはヘルシンキ経由でフェリーが一般的な訪問ルートのようです。ヘルシンキからの航空便もありますが、多くの人がヘルシンキ観光とタリン観光をセットにするため、フェリーの利用が一般的です。フェリーは往復で60~80ユーロ、片道1.5時間になります。冬季は高速船の運航が止まる場合もあるようです。ヘルシンキ港から朝8時の高速船で行けば、十分楽しめそうです。

2010年10月5日火曜日

冬の函館は寒くてもいい

函館山(山頂は展望台)と倉庫街
北の大地、北海道。その玄関口となっていたのが函館です。函館の魅力は、玄関口としての人の流れ、歴史の流れだと思います。人が集まり、富が集まり、ときには悲劇も起こりますが、それを乗り越えた街の魅力が函館にはあると思います。青函連絡船の到着口からJR函館駅まで、自由席に座るために走った記憶のある人も少なくないと思います。ただ、連絡線はすでに廃止され函館は玄関口の街としての役割を終えました。

函館は今、歴史と観光の街として道内外、さらには海外からも観光客を街に生まれ変わりました。これも人の動き、交流の拠点となったことで多くの歴史が刻まれた結果といえます。その歴史を流れるように見られるのが「市立函館歴史博物館」です。冬季も開館していますが、人は少なく、静かに見学できます。所蔵品は縄文時代(北海道の縄文時代は7世紀ごろまで続きます)から幕末、戦中に至るまで多数です。いわゆる郷土資料館といった展示です。

(函館ハリスト正教会 wikipediaより)
撮影:Route275
 函館の歴史のピークは松前藩時代のアイヌ民族との交流(戦も含む)と幕末蝦夷共和国の建国といっていいでしょう。松前藩は米作ができないため、年貢は北海道の物産で幕府に納めていました。それら物産はアイヌ民族との交易によって得られ、その交易は時に武力を伴う衝突にまで発展します。

この蝦夷地交易の富は松前藩の城下町、函館に集まりこの地を反映へと導きます。しかし明治維新後、たびたび襲う大火や戦災によって、古い町並みは多くが焼失しています。


歴史は北辺の街、函館に奇異な役割を与えます。五稜郭はその象徴として現存し、建物も復元されました。また五稜郭タワーからは中世の攻城戦を想定した城郭がはっきり確認できます。また函館は幕末から海外に開かれた港街となり、居留地や領事館、キリスト教寺院の建設が進み、現在でも奥の建物が残っています。これも観光資源となり、現在も多くの人が訪れています。
函館へは、羽田から飛行機が一番便利でしょう。2010年12月には新青森まで新幹線が開通しますが、青函トンネルは長く、新幹線を降りてからも函館までは相当の時間がかかってしまいます。