皇帝の始まり 秦の始皇帝(wikipediaより) |
ただ、多くの国で統治システムは複雑化して王の役割は名目上のものになっていることも珍しくありません。江戸末期の天皇もヨーロッパ人には権威の象徴(実権は持たない統治者)として捉えられていたようです。
確かに、ヨーロッパの皇帝は、各地を統治する封建領主である伯や公、大公といった王を従える「King of Kings」といった意味合いを持っていました。皇帝も王であり自身の領地と軍隊を持ちますが、帝国での最大の実力者として皇帝を名乗ります。この制度は江戸の諸藩と徳川家の関係によく似ています。そのため江戸時代、日本の制度をヨーロッパに紹介した学者によって、将軍はEmperorと訳され、世俗権力の最高位と位置づけられました。封建制度がヨーロッパとアジアで独自に発展して、最終的にはよく似た体制になったのは面白い結果かもしれません。
一方で天皇は聖職での最高権威者と理解され、教皇として紹介されています。この捉え方は現在では正確ではないですが、当時のものとしては正確なものといえます。天皇制の成立も興味深いものなので、いつかまとめて記事にしてみます。