2011年2月18日金曜日

古代、信仰が権力を支えたのか

今回のエントリは旅行とは直接関係はないです。歴史や人類が世界各地で辿ってきた文化を知ることは、旅行の楽しみを深めてくれそうなので、古代の信仰の歴史について書きます。

神々の神話が残る古代ギリシャの中心
パルテノン神殿(wikipediaより Harrieta171撮影)
人間の営みは数十万年続いていますが、今でも自然の脅威、気まぐれに脅かされる生活が続いています。大雨や旱魃、猛暑、寒波、火山の噴火、地震などの気象から、野生動物(肉食動物の襲撃やイナゴの大量発生など)、汐の干満、日食などの天文現象までさまざまな自然が人間の生活に影響を及ぼします。これらは人間によって制御できないものとして古代から神々の領域とされてきました。

不可解なものに答えを求めるのは人間の本能なのでしょうか、災害などの自然の理不尽さを神々の怒りと理解して、納得するのは世界各地で見られ、信仰の根本にあると考えられています。そして神々と人間を仲介する存在が「シャーマン」であり、古代社会の最高権力者となります。

日本でも卑弥呼に代表されるシャーマンが政治と信仰の権力を握っていたとされ、また、天皇は今でも古くから伝わる信仰の中心に位置します。また一神教が広がる以前のヨーロッパや中東、アメリカ大陸でも古代文明の権力の中枢は神官によって支えられていました。(その後、社会が高度化し、また他民族勢力との戦争が頻発するにしたがって武官や行政官の権力が強まったのも世界共通かもしれません)

このようなシャーマンによる信仰と権力の掌握は現代でたとえるなら、通貨発行による経済の掌握に似ていると思います。各国は独自の通貨を持ち、他の国に侵略された場合はその通貨を奪われるか、不平等な交換レートが設定されて経済的に虐げられます。これは古代から戦争に負けた国が勝った国の信仰を強要されるのと似ており、また侵略された国の神々が格下の神とされるのにも似ています。

さらに勢力内でも古代、忌み嫌われる人々や罪人は信仰を剥奪されます。彼らはそれを恐れ、規律や戒律を守り権力に歯向かえないようにされていました。現代日本人からすれば、信仰をやめさせられることにそれほど恐怖を感じないですが、これはきっと財産を没収され、以後、お金を使うことを禁止される、それほど重い罰に匹敵したのだと思います。

ただ、信仰が暴走したケースもあります。日本をはじめとした世界各地では雨乞いに失敗した巫女は殺され、また日食を予想できなかった天文学者も殺されてしまいます。殺されたシャーマンには代役が置かれ、信仰と儀式は彼を中心に行われます。いつの間にか神々の代理人だったシャーマンが人々の信仰の代理人になったからだと思います。(殺されるのを避けるため、シャーマンは儀式や祈祷を複雑化して取替えができないように予防措置をとる場合もあります)

モアイ像(wikipediaより)
さらに違った暴走が起こったのがイースター島です。モアイ像で有名なイースター島ですが、現在は荒れた島です。この島は昔、豊かな土地で数万人の島民が暮らしていました。しかしあるときから島民はモアイ像建造に心血を注ぐようになります。モアイ運搬のため大量の木々が伐採され、次第に島は荒れ、食料や田畑を奪い合う戦争が起こります。戦争に勝った勢力は負けた勢力の作ったモアイを倒し、信仰を奪います。しかし50年ほどの抗争の結果、ついには人が住めない島になってしまいました。おそらく島民は神々との関係を最優先に考え、現世での生活をおろそかにしてしまったのでしょう。これも信仰の暴走といえると思います。

歴史は繰り返す、とはよく言われますが、神の代理人としての戦争は現在も続いています。さらに神の座を奪いつつある「経済」も戦争の原因になっています。これはもしかしたら人間の宿命なのかもしれません。いずれ叡智が解決すべき課題ではあり、絶望してはいけない課題だと思います。